【子育て】満3ヶ月の日記

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■今日のまとめ

  • 息子さんも満3ヶ月
  • 「お姉ちゃん」も満3ヶ月
  • 「二児の親」も満3ヶ月

■息子さんも満3ヶ月

あっという間に時間が経ってしまったけれど、気付けば息子さんも満3ヶ月。
体重・身長も標準的な感じで推移してくれていて、少し安心の日々です。
(娘さんの時は、産まれ体重が少なかった事もあり、成長が気になっていた)

ここ最近の変化というと、

  • 目が合うと良く笑うようになった
  • 縦抱きを好むようになった
  • 喃語でおしゃべりしてくれるようになった
  • ベビーバスに収まらなくなってきた
  • ウンチがまとまって出るようになってきた
  • 肌着や服が小さくなってきた

挙げればキリがない感じだけど、毎日新しい発見があって楽しい。

■「お姉ちゃん」も満3ヶ月

息子さんが産まれて3ヶ月経ったという事は、つまり娘さんも「お姉ちゃん」になって3ヶ月経ったという事になる。
息子さんが産まれた時は、単純に「赤ちゃん可愛い」」という感覚で接していたような感じだったけど、最近では色々とお姉ちゃんっぽい行動を取るようになってきている。

更に最近は自宅で学んでいるピアノの技術向上が目覚ましく、もう僕ではついていけない程に素敵な曲を奏でてくれるようになった。
つい先日も「お父さん、ピアノ教えてあげる!」と言って僕を隣に座らせ、楽譜を読みながらひとつひとつ手の位置を教えてくれていた。
娘さんについても、「女の子」としての成長と、「お姉ちゃん」としての成長を見ることが出来ており、ダブルでとても楽しい。

■「二児の親」も満3ヶ月

そして、僕達夫婦も「二児の親」という立場を得てから3ヶ月経った事になる。
子供が2人いる状況は、1人の時とはやっぱり色々と変わってくる。
子供が1人だった頃は、そちらに全力で集中すれば良かったのだけど、今は下の子に意識を向けつつも、同時に上の子の反応も意識しながら色々とこなしていく必要がある。
娘さんもお姉ちゃんとは言えまだ4歳なので、構ってもらえない状況が続くと哀しそうな表情を見せたりする。
また、ちょっとしたイライラの向かう先が娘さんになったりする事もあるので、色々と気を付けていかなければなぁ、と思う事もしばしば。


妻と比べてしまうと、僕なんて子供と接する時間は十分の一にも満たない感じなのであまり偉そうな事は言えないけど、僕も自分の出来る範囲で可能な限り子どもたちと接して、子育てを楽しんで行けると良いなぁと思う。

次の3ヶ月も、息子さんもきっと首が座ったり寝返りをしたり自分の手を認識したり、色々とまた新しい事だらけだと思うので、非常に楽しみである。

【子育て】赤ちゃんの顔を肩越しに見てもらう

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ここ数日気を抜いていたら、日記の清書をする時間が全然取れずにあっという間に日が経ってしまった。
なので、反省しつつ少しづつ書き出して行こうと思う。

■今日のまとめ

  • 夫が普段目にしているような赤ちゃんの表情なんて、妻はだいたい見ている
  • 夫婦2人が揃う場面では「1人では見る事の出来ない表情」を妻に見てもらおう
  • その「ちょっとした新鮮さ」が喜びに繋がるかもしれない

■夫が普段目にする赤ちゃんの表情なんて、妻はだいたい見ている

今回は、産まれてまだ間もない息子さんの子育てで気付いた事を書いてみようと思う。
我が家は基本的には妻に子供の面倒を見てもらっている。そのため、平日の大半の時間を妻と息子さんが一緒に過ごす状況。

一日に何時間も子供一緒にいると、色々な表情を目にする機会が多いと思う。
視点としては、寝ている姿を上から眺めたり、おっぱいを飲む姿を上から眺めたり、腕に抱いている姿を上から眺めたり、脇の下を支えて正面から見たり、と言った感じである。

僕も、息子さんの色々な表情が見たいので、同じように上から眺めたり脇の下を支えて抱いたり、といった形で息子さんを様々な視点から見ようとする。


例えば「寝ている息子さんの姿がとても可愛くて、ついつい妻にも見てもらいたくなった」としよう。
声を掛ければもちろん妻は見てくれるのだが、おそらくほとんどの場合は妻にとって「既に見た事がある子供の表情」なのだと思う。(何度見ても可愛い姿は可愛いので、それはそれで構わないのだろうけども…)

妻は四六時中赤ちゃんの世話をしているので、子供の色んな表情を見慣れてしまっているのは無理も無い。

■夫婦2人が揃う場面では「1人では見る事の出来ない表情」を妻に見てもらおう

親が1人で赤ちゃんの世話をする時に見る表情であれば、だいたい妻は目にしている、という点については分かった。

では、夫婦2人が揃う状況であればどうだろう?もしかしたら、普段妻が目にしないような状況を作る事が出来るかもしれない。
色々と考えたり試したりした結果、一つの解が見つかった。

  • ゲップさせるような体勢で赤ちゃんを肩に抱き、アゴを肩に乗せた状態で自分の背中側から肩越しに赤ちゃんを見てもらう

である。
イメージにするとこんな感じ。

f:id:quindim:20140609221553j:plain


この「ちょっと前傾がちな状態になった赤ちゃんの表情を正面から見る」事は、1人で実現しようと思うとかなり難しい。
というのも、

  • 首が座っていない状態では、縦に子供を抱く場合、何らかの形で首を支えないといけない
  • 首を後ろから支える形だと、どうしても後傾姿勢になるので、見える表情が違う
  • 前傾がちに抱こうと思った場合、「胸にもたれさせる」という手もあるが、そうなると正面から顔を見る事ができない

といった感じで、けっこうハードルが高い。


しかしながら、上記のイメージにあるように、「肩に抱いた状態で、親の頭で子供の頭を支えてあげる」状態を作ると、あら不思議。
普段1人ではあまり見る事の出来ない赤ちゃんの表情を目にする事が出来るようになる。

どんな感じに違うかと言うと、

  • 寝かせている時よりも、ほっぺたの肉がポッチャリとした感じになる
  • 頬の肉に引っ張られて、他のパーツも寝ている時とは違う感じになる
  • とりあえず新鮮な光景


僕はこれに気付いて以降、積極的に「肩抱きにした息子さんを正面から見られる」ように、何かと妻に背中を向けて親子コミュニケーションを取ってもらうようにしている。

もしかしたら、妻自身は特に意識していないかもしれないけど、おそらくは普段目にする子供の表情とは違っているはずだから、何となく新鮮さを感じてくれているかもしれない。(そうである事を願いつつ、日々妻に背中を向けているのだ)

■その「ちょっとした新鮮さ」が喜びに繋がるかもしれない

子育ては、節目節目においては「笑うようになった」とか「首がすわるようになった」とか、大きな変化は産まれてくるものの、短期的に見るとどうしても「同じような世話を繰り返し続ける」という日々の連続になってしまう。

そんな場面においては、ちょっとした事であっても、普段と違う「新鮮さ」が嬉しかったりするものだと思う。
せっかく夫婦2人で子供と関われる場面があるならば、2人居るからこそ実現出来る「いつもとちょっと違う風景」を意識して演出してみると良いのではないか。

例えば今回例に出した「普段目にしないような表情を見てもらえるように工夫してみる」という事も、その一つだと考える。
他にも、もっと色々な事があるかもしれないし、もし何かあるならば、僕自身が教えて欲しいくらいである。


後になって振り返ってみれば、乳児期の子育てなんて、きっと非常に短い期間の記憶に過ぎないものになっていると思う。
その短い期間に起こる事だからこそ、ちょっとした事であっても色々と楽しみながら過ごして行きたい。

【子育て】お父さんが意識すべき「妻の心の変化」について

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■今日のまとめ

  • 妊娠・育児を契機に「妻が怒りやすくなった」と感じるかもしれない
  • それは、妻の性格が変わったわけでも、夫の行動が悪くなったわけでもない
  • つわりや育児から受けるストレスは相当なものがある
  • 妻が一番気を許せる相手だからこそ、安心して感情を表に出せるのだ
  • 夫自身の対応法も準備しておこう
  • 父親として成長する自分と、母親として成長する妻を受け入れながら、一緒に楽しく子育てしよう

■妊娠・育児を契機に「妻が怒りやすくなった」と感じるかもしれない

妻の妊娠や出産、日々の育児を経験しているお父さんならばおそらく経験している事だと思うが、妊娠・育児期において「妻がおこりやすくなった…」と感じる事があるかもしれない。

突然こんな事を書くと「きんちゃんは何か嫌な事でもあったのか?」と思われるかもしれないけど、まったくそんな事は無い。
純粋に「もっと多くのお父さんに、気持ちを楽に、そして奥さんの事をもっと理解した上で、楽しく子育てに関わっていってもらいたい」と思う気持ちから、今回このようなテーマで日記に残してみる事にした。

■それは、妻の性格が変わったわけでも、夫の行動が悪くなったわけでもない

「おこりやすくなった」と言っても具体的には色々な形があると思う。
例えば「良く分からないけど妻の機嫌が悪い」とか「ちょっとした事でも必要以上に怒られる」みたいな事が挙げられるだろう。
お父さんとしては「別に今まで通りに接している」とか、「むしろ今まで以上にいたわりの気持ちを持って接している」とか、そこまでマイナスになるような行動はしていないつもりである。しかし、何か気に障るような事をしているつもりは全然無かったとしても、なぜか怒られてしまう。
そんな妻の感情変化を目の当たりにした人は、「なぜそんな態度を取られなければならないのか?」と心の中で感じて落ち込んだりする人もいるだろうし、感情的に反応してしまう人であれば、その妻のイライラに対してついつい自分も不機嫌な感情を表に出したりして、険悪なムードになってしまうかもしれない。

しかし、そのようなネガティブな感情を持つ必要は全く無いのだ、と僕は考えている。
妻の妊娠・出産・育児を2回経て、僕自身もやっと気付いた事なのだけど、そう言った妻の行動は「夫婦のどちらかが何ら悪い行動をしていなくても、必ず起こる変化」なのだ。

科学的には「妊娠期のホルモンバランスがどうの」とか、教科書的には「未知の妊娠や出産・育児に対しての不安がきっかけで」とかがあるかもしれないけど、僕は単純に考えて「日々積み重なっていく小さなストレスが不定期にはき出されるものである」という認識を持っている。

■つわりや育児から受けるストレスは相当なものがある

良く考えてみて欲しい。つわり期に受けるストレスを。
つわりは、「二日酔いが何ヶ月もずっと続く状態」と表現される程に、肉体的のみならず精神的なダメージも大きい。
本人は非常にツラいはずなのに、周りはお祝いムードだったりするし、完全に休息を取るわけにもいかず、それまで通りに家事をしたり仕事に行ったりしなければならない。
数え上げればキリがないけれど、妊娠する前と比べると、受けるストレスの質・量共に、相当の変化があると思う。

良く考えてみて欲しい。育児期に受けるストレスを。
予定という予定を何も取れず、ただひたすらに「授乳→寝かしつけ→オムツ替え」を繰り返し、それらの合間に出来た隙間時間で家事を何とかこなし、それが24時間毎日休みなく続く。
本人は非常にツラいはずなのに、周りはお祝いムードだったりするし、夫はいつも通りに会社に行って「予定のある一日」を過ごして帰ってくる。
数え上げればキリがないけれど、出産する前と比べると、受けるストレスの質・量共に、更に相当の変化があると思う。

そのくらいに多くのストレスを受け続けていると、おそらく身体が「これらのストレスから受ける負担を何らかの形で排出しなければ、心身共に壊れてしまう」という生理的な防衛行動に出ると思っていて、それが形として出てくるのが前述の「怒り」や「イライラ」と言った行動なのだと考える。
怒りやイライラとして表れやすいのも理由があって、おそらくそれが一番出しやすく、効率の良い排出方法なのだと考える。

■妻が一番気を許せる相手だからこそ、安心して感情を表に出す事が出来るのだ

つまり、極端な話をしてしまうならば、「妊娠期・育児期の妻のイライラ」は単なる生理行動の一環なのだ。
そして、その行動を取る時に近くにいるのが他でもない夫である事が多いので、結果として「妻が夫に対しておこりやすくなった」という事象に繋がっているのである。
と僕は考える。

「怒りの感情を表に出す」という事は、別に誰だって好きでやりたいわけではない。敢えて敵を作るような人はあまり居ないと思う。
とは言え、生理的にはストレスのはけ口を何とかして見つけなければならない。

そんな状況において「夫」という存在は、その感情の向け先として非常に適している。
誰よりも気を許せる、そして一緒に生きていく事を誓った存在であるため、多少の苦しい事であっても受け止めてくれる人。
つまり夫は、妻のやり場の無い感情を受け止められる、非常に重要な役割を持っているのだ。

■夫自身の対応法も準備しておこう

夫には色々と受け止める役割がある事は分かった。
とは言え、夫自身もそのような感情を受け止め続けていると、時には情緒不安定になったりする事もある。
そうならないためにも、いくつか僕が取り組んでいる事がある。

まずは、「自分の人格を否定されているわけではない。原因は自分以外の環境に存在しているのだ」という事を意識してみる事。
要は、妻の感情の変化について「僕の行動に直接的に起因して気持ちが高ぶっているのではなく、単にトリガーになっただけなのだ」と考えるようにするのだ。
もちろん、何か自分の非を指摘されるような事があった場合は、「あぁ、確かにそれは出来ていなかったな。ごめんね」と受け止めて次に繋げる必要はある。
そんな意識を持った上で、どんどん受け止める事が大事なのだ。

次に、「妻の背景にある日々のストレス」について自分なりにイメージしてみる事。
おそらく、自分が想像している以上に、妻は日々ストレスが積み重なっているものだ。
例えば、丸一日妻に代わって一人で子供の面倒を見てみると、どれくらい子育てが上手く行かないものか、どれくらい自分自身がイライラして来るかが良く分かる。
僕は「自称温厚な性格」であるつもりだけど、そんな僕でも、例えば子供が思った通りに寝てくれないだけでイライラを感じてしまったりする。
大量のストレスに毎日押しつぶされそうになっている妻を想像するだけで、協力したくなってくるはずである。

後は「感謝の気持ちを表現する」事。上記の「背景をイメージする」に近いかもしれないけど、その上で感謝の気持ちを表現する、という事だ。
育児はけっこう大変だ。というのは何度も書いた。例えば単に買い物に行くだけでも、授乳のタイミングを調整しつつ、メイクも気にしつつ、着替えやオムツの一式を持ち、そして病気の感染等を考慮して人混みを避けたり周りの人を意識したりしなければならない。
そんな過程を経た上で買い物をして来てくれたとなると、「大変だったよね、ありがとう」と思う気持ちが自然に出ると思う。
その気持を何らかの形で表現するのだ。例えばメールで「買い物行ってきた」と受け取ったら、「ありがとう」と伝えるようなシンプルなコミュニケーションでも良いし、例えばタイミングを見て妻の肩や足を揉んであげるのも良いだろう。

■父親として成長する自分と、母親として成長する妻を受け入れながら、一緒に楽しく子育てしよう

まさにその通り。子供が産まれて初めて自分も父親になるわけで、元から父親になっていたわけではない。
自分も妻も日々「子供を持つ父親・母親」として成長しているわけなので、出来ない事も多くて当然。
出来ない部分に目を向けて悲観的になるのではなく、それよりも何倍も重要な「子供の育つ姿」に喜びを感じながら、日々を楽しく過ごせれば良いなぁ、と思っている。

「昔は女手ひとつで子供を育てた」という話を出す人もいるかもしれない。
ただ、それは「昔の女性が強かった」という話ではなくて、単に「昔の女性に相当大変な思いをさせてしまった」という事実があるだけなのではないか。
「昔は女手ひとつで…」と言っている方だって、もし周囲の、特に夫の積極的な育児参加があったならば、喜んで受け入れていたに違いない。
今の時代は、夫婦が二人で子育てに向き合うための良い土壌(制度や取り組み事例)が揃い始めていると思う。

出来れば、僕らが将来年をとってから思い出す「子育ての記憶」も、僕にとっても妻にとっても素敵なものにしたいと思う。
この先50年以上も一緒に連れ添う人なんて、おそらく世界に一握りしかいないだろうし、その50年後に持つ素敵な記憶を作れるのは今しか無いと考えるので、ちょっと大変だけど今がんばってみようかな、と思えたりする。


「妻のイライラ」だなんて、本人が見たら気を悪くするかもしれないテーマを今回取り上げた訳だけど、この現象を含めての「子育て」だと思うので、ちょっと深掘ってみた。

きっと妻は深夜の授乳後にこの日記を読むだろうけど、これから先もよろしくお願いします。

【子育て】たまには外遊びの無い日も良いもんだ

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■今日のまとめ

  • 今日は、子供と遊ぶための外出をしなかった
  • 娘さんは不満そうだったけど…
  • たまにはこんな日も良いかもしれない

■今日は、子供と遊ぶための外出をしなかった

「晴れた日は娘さんを連れて外に遊びに出かける」
いつの日からか、仕事が休みの日は娘さんと必ず出かけるようになっていた。
行く先はだいたい近場の公園や、室内遊具のある施設。
移動手段は距離やその日の気分によって「徒歩」「自動車」「電車」を使い分けている。

だいたい僕が一人で娘さんを連れて、いわゆる「週末デート」の形で出かける。
目的はもちろん「平日満足に遊べない娘さんと一緒の時間を過ごす」部分にあるけど、
「平日娘さんに付きっきりになっている妻を、短時間だけど娘さんから開放する」という部分も大いにある。

そんな週末の日課である「娘さんとの外出」だけど、今日はそれを実施しなかった。
きっかけは、昨日かなり寝不足だった僕を見かねた妻が「明日は家にいたら良いんじゃない?」と言った事。
それを聴いた直後は「いや、別に散歩くらいだったら行けるし…」と思ったものの、とは言え妻も僕を気遣って言ってくれた事だったりするので、「そんな日もあっても良いのかもなー」と考え、それを受け入れる事にした。
それ程までに、「娘さんと外出しない晴れた日の週末」は、僕にとって非日常感あふれるものだったのだ。*1

■娘さんは不満そうだったけど…

そして今日になったのだけど、実際に、娘さんと遊びに出掛けなかった。
正確には「遊びを目的とした外出をしなかった」が正しいのだけども。
と言うのも、今日は資源ゴミを出しに行く(近所の資源ゴミセンターで、収集日以外も資源ゴミを回収してくれるのだ)という短時間ながら外出の予定があったため。
ゴミ出しは僕一人でも行けたのだけど、どうせ外出するなら…と、家に居たそうな(遊び以外の目的だとあまり出たがらない)娘さんを連れ出し、ゴミを捨てに行った。
ゴミ出しの帰りにスーパーに寄って、昼食の材料を買って帰る事に。娘さんは途中何度も「お父さん、ここ、○○公園の近くだよ!」とか「スーパーの中の遊具で遊びたい!」とか言っていたけど、昼食の時間も時間だし、さっさと買って帰宅。娘さんは不満そうだった。

昼食を適当に作ってみんなで食べて、普段であれば「さぁ○○に行こうか」と娘さんを連れ出す所だったけど、今日は宣言通り行かない事にした。
やった事と言えば、こんな感じ

  • 皿洗い(僕が洗って、娘さんがすすぐ)
  • 庭でシャボン玉
  • 部屋でオモチャ遊び
  • 一緒に替え歌大会
  • 先日から散らかっていた部屋のオモチャの片付け
  • 妻と娘が庭の掃除をしている間に、息子さんと遊ぶ
  • お絵かき大会(1枚の紙に一つの世界観で人や動物をお互いに書き加えていき、その絵の中でどんどんストーリーを進めていく)

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そして、夕飯の買い物は妻ひとりに行ってもらった(普段であれば全員で買い出しに行く)。
家の中に娘さんと息子さんと3人で居る、というのも何だか不思議な感覚だなぁと思いつつも、娘さんと一緒に息子さんをあやしたりしながら遊んでいた。

■たまにはこんな日も良いかもしれない

終わってしまえば、そこそこ遊んだ感はあるものの、やはり外出をしなかった事もあってか体力の消耗も抑えられていたようだった。
娘さんは「やっぱり公園に行きたかったなー」とは言っていたものの、夕方頃に「今日はお父さんと家の中でいっぱい遊べて良かった」と言ってくれたので、そこそこ満足感は得られたようである。

普段は週末ともなると「頑張って子供を連れて外出しないと!」と、ある意味使命感のようなものを持って出掛けていたのだが、別に外出せずともそこそこ満足の行く週末感を得られたので、今後もたまには外出しない日を作っても良いのかなー、と思ってみた。
とは言え、よほど体調が悪かったりしない限りはどんどん外に連れ出したいのだけども。

■まとめ

なんか、色々と書いていたら長文になってしまったけど、単に「外に遊びに行かなかった」という事を伝えたいだけの日記でした。

*1:雨の日は外出しないのだけど、その日は申し訳無さで一杯になっている

【子育て】子供の前で歌を唄おう

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■今日のまとめ

  • 僕は歌を唄うお父さん
  • 何より、子供が喜んでくれる
  • 恥ずかしさと、人生の豊かさのどちらを取るか?
  • きっと子供の未来の記憶に残るはず

■僕は歌を唄うお父さん

以前から子育てをしている中で、他のお父さんに聴いてみたかった事がある。
それは
「どのくらい日常的に歌を唄うのか?」
という質問。

かく言う僕は、「ほぼ毎日」である。
思い付くだけでも

  • 娘さんと一緒にいる場面
    • 朝目が覚めて、まだ寝ている娘さんを起こすとき
    • 娘さんを起こしてから、抱っこして1階の食卓まで連れて行く
    • 娘さんの朝食を準備するとき
    • 娘さんのトイレを近くで見守るとき
    • 娘さんがごはんを残しがちになっているとき
    • 娘さんと一緒に洗濯物を干しているとき
    • 幼稚園に行く娘さんをバス停まで見送りに行くとき
    • 娘さんと散歩に出ている時
  • 息子さんと一緒にいる場面
    • 息子さんのオムツを替えるとき
    • 息子さんの沐浴をしているとき
    • 息子さんを抱っこで寝かしつけるとき
    • 息子さんの手や足を握りながら遊ぶとき

このような場面において、口から歌が出てくる。
歌と言っても、いわゆるJ-POPや特撮ソングではなく、
【童謡や単調なメロディーに乗せて、今感じている事・見ている事を口に出して唄う】
ようなものである。替え歌みたいな感じ。

例えば抜粋すると(仮に娘さんの名前を「○○」、息子さんの名前を「□□」とする)

  • 「あっさでっすよ~♪ おっきましょう~♪ ○○ちゃ~ん♪」
  • 「お父さんは○○ちゃんが大好きよ~♪ ○○ちゃんはお父さんが大好きよ~♪」
  • 「今からウィンナ~を やきますよ~♪ チーズを出しますよ~♪」
  • 「ウンチをがんば~れ~♪ ウンチをがんば~れ~♪」
  • 「○○ちゃんのお皿には【トマト・ウィンナー・パン】が残ってるのよ~♪」
  • 「次は~ ○○ちゃんのパンツを 干しますよ~♪」
  • 「オムツを替えたら気持ちいい~♪ オムツを替えたら気持ちいい~♪」
  • 「□□くんはお風呂が大好きで~♪ お父さんも□□くんが大好きで~♪」
  • 「□□くんは~ 抱っこが気持よくて~ 眠ってしまうのよ~♪」
  • 「□□くんは元気っ♪ □□くんは元気っ♪ □□くんはホッペがムッチムチッ♪」

こんな歌詞である。

子供と「意識した会話」をする時以外は、だいたいこんな感じの歌を唄いながらコミュニケーションを取っている。
今回は子育てにおける「歌のコミュニケーション」について感じている事を書いてみようと思う。

■何より、子供が喜んでくれる

歌はいいね。というセリフを誰かが言っていた気がするけど、実際、歌は良いものだと思う。
メロディに乗せる事によって、ただのコトバに、豊かな感情表現やエンターテインメント性を加えてくれる。
特に娘さんは、僕が一節唄い終わると、同じリズムに乗せて歌詞を変えて唄ってくれたりする。

  • 僕「つっぎの~ おうちは どんないろ~♪」
  • 娘さん「つっぎの~ おうちは ちゃいろだよ~♪」

みたいな感じ。

子供は感受性が豊かなので、ただ普通に会話する時以上に、多くのものを受け止めてくれるのだと思う。
実際、娘さんに対して単に「次は帽子をかぶって」と言った場合と「つっぎは~ 帽子を かぶってね~♪」と唄った場合とで、その後の本人の行動・反応や表情にに違いが出てくる(ように見える)。

以前、娘さんにインタビューしてみた事もある。
僕「お父さんが普通に話すのと、唄いながら話すのとだったらどっちの方が好き?」
娘さん「唄ってる方がぜったい楽しくていいわよ~(ニコニコしながら)」
と言っていたので、おそらく普通に話すよりも唄っている方が楽しいのだろうと思う。

メロディに乗せて言葉を発すると、何とも言えず胸踊る感覚がある。
お父さん自身も、おそらく普通にしゃべるよりもメロディに乗せて言葉を発した方が楽しいのだ。

■恥ずかしさと、人生の豊かさのどちらを取るか?

もちろん、妻が聴いている前で変な歌を唄ったりするのは正直言って恥ずかしい。
妻と娘さんが見ている前でお尻を振りながら踊ったりもするけど、これも正直恥ずかしい。
実際、高校・大学時代の友人がこんな僕の姿を見たらビックリするだろう。

ただ、ちょっと恥ずかしさを捨てて行動するだけで、娘さんが喜んでくれるし、それを見た妻も笑ってくれる。
そんな家族を見ていると、僕もすごく心が暖かくなり、人生の豊かさを感じられるようになる。

子育てなんて上手く行かない事ばかりで日々どんどんストレスがたまるものだから、ちょっとでも笑いや癒やしに繋げられるような要素があるならば、積極的にそれを取り入れていった方が良い。でないと心が参ってしまう。

だから僕は、変なプライドや恥ずかしさなんて持つのをやめて、家族が楽しめるように、ずっと笑い続けられるように、変な事をやって行く。
これからもずっと、娘さんや息子さんにとって「親しみやすい、楽しいお父さん」であり続けたいと思うから。

■きっと子供の未来の記憶に残るはず

僕が持っている非常に古い記憶の中で、母がキッチンで料理をする時にいつも唄っていた歌の記憶がある。
その時の母の姿なんて覚えていないし、料理の内容なんて覚えていないけれど、でも、その独特なメロディはずっと頭の中に残っている。
母親が、ただ普通に会話しているだけだったら、まったく記憶に残らなかっただろう。それ程までに歌は心に刻まれるものなのだ。

僕は、娘さんや息子さんに「親と一緒に過ごした色々な記憶」を出来るだけ多く残してもらいたいと思う。
歌を唄い続ける事で、もしかしたらそんな記憶を増やしてもらえるかもしれない。
そうなって欲しいと願いながら、僕は毎日娘さんと歌を唄い合いながら通園路を歩くのだ。

「30年後、もしかしたら80年後の娘さんの記憶を、僕は今作っているのかもしれない」と思いながら。

今回はここまで。


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「家族に将来何が残せるかな」とか考えると、だいたい「象の背中」を思い出してしまうので、とりあえず動画をまた観て泣いておこう。


象の背中 旅立つ日 完全版 - YouTube

【子育て】父親による沐浴のススメ

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■今日のまとめ

  • 赤ちゃんの沐浴は父親がやった方が良い
    • 体格的な違いによる優位性
    • 「子育て」に父親の居場所を作る事ができる
    • 子供の成長を定点観測できる
  • 朝方沐浴のススメ

今回は、「お父さんが赤ちゃんの沐浴を率先してやる」事についてのメリットを語りたいと思う。
僕は今まさに二人目の育児に参加している真っ最中なのだけど、新生児期・乳児期の子育てにおいて特に「沐浴」についてはお父さんにこそやってもらうべきなのではないか、と思っている。
その理由と得られる効果について、いくつか項目を上げて整理してみたい。また最後に、無理なく沐浴を続けられる習慣について説明してみる。

■理由その1:体格的な違いによる優位性

赤ちゃんの沐浴をする場合、おそらく以下のような状況になる事がほとんどだと思う。

  1. 赤ちゃんの頭を一方の手のひらで支える
  2. もう一方の手でガーゼ等を利用し、身体を洗う
  3. 洗い終わったら、バスタオルへと移動

例えば我が家の例を出すと、妻よりも僕の方が体格が良く、手も大きいし力も強い。
特にこの「手のひらの大きさ」と「力の強さ」が、沐浴時には心強いものとなる。
首がすわっていない赤ちゃんの頭を片手で支えるのは、けっこう大変。生後1ヶ月目くらいまでなら、お母さんでも容易に両耳を覆うくらいまで指を回せると思うけど、それが2ヶ月目、3ヶ月目と順調に育っていくと、あっという間に指を頭の両端に回せなくなってくる。
そこで手のひらのおおきいお父さんであれば、より安定して支える事が出来るので、不意に子供が大きく動いたとしても手を滑らせてしまう心配は少なくなる。

また、身体を洗い終わった時に赤ちゃんをバスタオルまで運ぶのだが、お湯に濡れたままの身体を手だけで支えて運ぶのは、そこそこ力がいる作業なのだ。
だいたい沐浴をするときは親は服を着ていると思うので、身体を密着させて抱く事が出来ない。そのため、片手で頭を支え、もう一方の手で尻を支えて運ぶ事になる。腕に乗せて支える事も出来れば避けたい状況だ。
想像してみたい。スーパーで売っている5kgのお米を、手のひらの上に乗せて運んでいる状況を。例えば自分の妻がスーパーでそんな状態になっていたとしたら、おそらく九割九分の旦那さんは奥さんに代わって米を持ってあげたくなる衝動に駆られる事だろう。
つまり、そういう事だと思う。

■理由その2:子育てにおいて「父親の居場所」を作る事ができる

せっかくだから父親としても子育てを楽しみたいのだけど、例えばオムツ替えだったり寝かしつけだったりは、どちらかと言うと「父親がやっても母親がやってもそんなに変わらない」類のものであり、お父さんとしてはあまり自信を持って「オレの役割だ」と言えるものでも無い。けっこうションボリする。
しかしながら前述の通り、沐浴に関して言うと「お父さんがやった方が安心・安定」なので、父親が活躍出来る。その役割がある事で「子育てにおける父親の居場所」を作る事が出来るのだ。胸を張って「オレに任せなさい」と言える事で、どんどん自信がついてくるようになる。
結果として、より「夫婦でする子育て」に近づく事が可能となる。

■理由その3:子供の成長を定点観測する事が出来る

子供は、あっという間に大きくなる。気付いてみたら、どこがどうなったのかは分からないけど、とにかく肉付きが良くなっていたり、全体的に大きくなっている。
実は、沐浴はそんな子供の肉体的な成長を、同じ場所、同じ視点で日々細かく感じる事の出来る行為なのだ。
具体的には、以下のような変化を感じる事が出来るだろう。

  • 頭を支える時に、指が耳に届かなくなって来た。その内に、指で支える事が出来なくなってきた。
  • 日に日にベビーバスが小さくなっていく、いや、むしろ赤ちゃんが大きくなっているのだ。
  • 首や関節に溜まったホコリが、日に日に肉に隠れて取りづらくなっていく。
  • 最初はプカプカ浮いていただけなのに、日に日にベビーバスの中に沈んでいくようになる。重い。

定点観測だからこそ、変化に対して非常に敏感になれる。本来であれば見過ごしているような変化も、意識させてくれる。
そして、これらの変化を感じる事が出来るのは、沐浴をやっている人の特権なのだ。
お母さんは、四六時中赤ちゃんと接する状況にあるため、日々の子育ての中で赤ちゃんの変化に色々と気付く状況がある。
しかしながらお父さんは、気を抜いていると週末の休みの日にしか赤ちゃんとまとまって過ごす時間が取れない事も多い。
沐浴は、そんなお父さんに子育ての醍醐味である「日々の成長」を感じさせてくれる手段である。

■最後に:朝型沐浴のススメ

とは言いつつも、「父親が毎日沐浴をする」というのは、けっこう色々と工夫をしないと難しい状況がある。
例えば「風呂ってだいたい夜に入るものだよね」という思考を持っていると、何となく沐浴も夜が当たり前になってしまったりする。
しかしながら、仕事人のお父さん、特にIT系の企業に勤めていたりすると、帰れる時間は日によってバラバラ。遅い時には、家に着く時間が日をまたいでしまう事もあったりして、そんな日は、だいたいお母さんが沐浴をやってしまい、先に寝てしまっている。お父さんは申し訳無さそうに帰宅する事になる。
他にも、例えば家に帰って「さぁ沐浴だ」と思っても、玄関上がるとちょうど授乳タイミングで、その後しばらく吐かないように時間を開けていたら、いつしか寝る時間になってしまって、沐浴が出来ない、という状況になったりもする。
こんな状況が続くと、きっとお母さんはイライラしてしまうだろう。

そんな状況から抜け出すために我が家で実践しているのが、「朝型沐浴」である。単に、朝に沐浴をする、というだけなのだが、これが非常に良い上記の解決策になっている。
ポイントとしては、以下のようなものである。

  • 出勤時間の2,3時間前~出勤時間直前までの時間帯の中で沐浴を実施する
  • 沐浴をおこなうタイミングは、赤ちゃんが目を覚まして泣き出した(お腹が空いた)時に合わせる
  • 目を覚まさないようであれば、頃合いを見て起こして沐浴
  • 沐浴が終わったら授乳タイム

このような仕組みを作る事で、「毎日ある程度規則的に沐浴できる」「お父さんが沐浴させられる」「二人が起きている状態で授乳させられる」というメリットを漏れ無く享受する事が出来るのだ。

もし「毎日の仕事帰りが不定期になってしまって、良い感じに沐浴させる事が出来ない」という状況があるならば、是非とも試してもらいたい習慣の一つである。もしくは、毎日キッカリ定時に帰って沐浴させるか、だ。

少なくとも、僕の家ではこの朝型沐浴のおかげで「無理なく」「毎日」「楽しく」「夫婦で」息子さんとの沐浴タイムを楽しむ事が出来ている。


今日言いたかったのは、「お父さんが沐浴をやった方が良い」という事。
これは、僕の息子さんにも将来伝えようと思う。

【子育て】父親であると実感を持つまでに時間が掛かった話

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■今日のまとめ

  • 娘さんが産まれた直後は、父親の自覚はほとんど持てなかった
  • 産まれる前に持っていた「娘さんへの愛情」は、「妻への愛情」だったのだと思う
  • 「父親の自覚」は、娘さんと一緒の日々を過ごす中で芽生えていった
  • 二人目が産まれた時は、父親の自覚をすぐに持つ事が出来た

■娘さんが産まれた直後は、父親の自覚を持てていなかった

娘さんが産まれた日、僕は娘さんの頭の形が気になって仕方が無かった、という話を前回書いた。
手術室から戻った妻に声を掛け、「赤ちゃん、可愛かったよ」と言ってはいたものの、「あの子の父親になったんだ」という自覚はまだ持っていなかった気がしている。
今でこそ、娘さんの事は「どれだけ一緒に居ても飽きる事が無く、ずっと接し続けていたいし、自分に出来る事なら何でもしてあげたい」と感じる存在になっているのだけど、産まれた直後に保育器の中で小さく動いている存在を見た時は、何と言うか、あまり自分との直接的な関係を意識出来る対象では無かった。
なので、頭の形とか変な所に意識が向いてしまっていたのだと思う。

■お腹の中にいた頃は愛情のような感情を持っていたような気がする

産まれる前は妻のお腹の中に居たわけだが、その頃はもっと愛情を持って接していたような気がする。
おそらくその理由は分かっている。お腹の中に居るとは言え、相手は妻と一体になっていたのだ。例えばお腹に声を掛けたりお腹をなでたりと、お腹の中の子に意識を向けているような時でも、直接的に接する対象が妻そのものであったため、それは妻に対しての愛情表現がそのまま現れているだけだったのだろう。
そのため、妻の身体から出てきて「一人の独立した存在」になった娘さんに対して、それまで妻に対して持っていた愛情をそのまま映す事が出来なかったのだろうなぁ、と思う。

実際、その後病院に通って娘さんを抱かせてもらう機会があっても「うわぁぁぁぁ!この子は自分の子供なんだぁぁぁぁぁぁ!!一生大事にしていくぞぉぉぉぉ!!」みたいな感覚を得ていたわけではなく、とりあえず「赤ちゃんかわいいなぁ」という、赤ん坊そのものに対しての「かわいい」感情がある感じで、むしろ「【子供が産まれて幸せそうな妻】を見る幸せ」みたいな部分に幸せを感じていた気がする。

■「父親の自覚」は、娘さんと一緒の日々を過ごす中で芽生えていった

娘さんが妻と一緒に退院してからは、「状態としての父親」という立場は出来ていた(そうならざるを得なかった)ものの、やはり「父親の自覚」というものはまだまだ育っておらず、「父親としてすべき行動は何か」みたいなものは、けっこう妻に教えられていたような感じだった。

それからどれくらい経ってからなのかは分からないけど、いつの間にか上記のように「一生大事にしたい存在」として娘さんを見るようになっていて、いわゆる「父親としての自覚」もかなり育っていた。
そうなった一番大きな要因としては、やはり「一緒の時間を過ごす」という部分にあったのだと思う。一緒に生活していく中で、「自分の接し方ひとつで、この子の人生が変化していくのだ」という事をジワジワと実感するようになり、いつしかそれが「父親であるという事の自覚」になっていった。

これは、恋愛関係における愛情の変化にも似ている感じがする。
出会った当初、付き合った当初は相手の事が分からず、どちらかと言うと「異性と一緒にいる事の刺激」が主であるが、しばらく一緒の時間を過ごす事で、それまで持っていなかった「この相手と自分との将来を意識する感情」が芽生えるようになり、それがいつしか「相手を一生大事にしたい存在と思える状況」になっていくのだろうと思う。あくまでも自分の体験だけど。

■二人目が産まれた時は、産まれた瞬間からその子の父親になっていた

4年が経ち、息子さんが産まれた時に得た感覚は、娘さんの時のそれとは打って変わっていた。
病院で産まれた直後の息子さんの顔を見た瞬間から「その子に対しての父親であるという感情」を持っていた。
それはやはり、娘さんと一緒に過ごす中で娘さんに気付かせてもらった「その子の将来を作っていくのが自分である」という感覚、つまりは「父親の自覚」を十分持てていた事によるものだろうと思っている。
それを考えると、「子が親を育てる」というコトバにも非常に納得が行く。

僕の「父親の自覚」を育ててくれたのは、娘さんであり、そして、これからは二人の子供がもっと僕を育てていってくれるのだろう。
非常に楽しみである。