【子育て】父親になるまでの話

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■今日のまとめ

  • とりあえず昔の事を思い出してみようと思った
  • しばらく子供ができなかった話
  • 娘さんが産まれた日、とにかく頭の形が気になっていた

■昔の事を思い出してみようと思った

子育てについて日記を書くと決めたものの、初日から「さて何から書いたものか」という状況になってしまったので、ひとまず「子育て」の始まりの事を思い出してみようと思った。もう5年以上も前の事なので、断片的な記憶を寄せ集めてみる。

■しばらく子供ができなかった話

当時、結婚して「いつ子供が産まれても良い状態」になったものの、1年以上そういった巡り合わせは無く、けっこう悩んでいた事を覚えている。
僕自身がそこそこ重度の持病持ち(薬漬け)であった事もあり、「自分の身体に原因があるのではないか?」と真剣に悩んだりして、知り合いに相談した事もあった。妻は子供が好きだったので「もし彼女に自分の子供を抱かせてあげる事が出来なかったら…」とか考えて落ち込んだりもした。
だけど、たぶん僕よりも妻の方が悩んでいたんだろうなぁ。あまり表には出さないものの、かなりの心配性なので、僕が悩んでいた以上に色々な事を気にしていたのだと思う。
基礎体温を測るようになってから、毎日目が覚めた時に妻の口に体温計を運んでいった事を良く覚えている。一緒に妊活をしているような気になれて嬉しかった。

その後、幸いにも妻の妊娠がわかり、非常に喜んだ。
ただ、人生そんなに甘くは無い。詳しくは書かないけど、妊娠が分かってからも色々と大変だった。何度も「もうダメかもしれない」と思う事があった。何よりも、大変な状況である事を周囲に説明できないのがツラかった。
だけど、たぶん僕よりも妻の方がツラかったのだと思う。自分自身の身体の変化が直接分かってしまうわけだし、どうする事も出来ない状況でただ時間が過ぎる事を待つしかない、だなんて相当に酷な状況だ。僕はだいたい、妻の感情を黙って受け止める事しか出来なかった。

そして色々あって、帝王切開で出産する事が決定。それまで「立ち会い出産時の立ち居振る舞い」みたいなものをモヤモヤとイメージしていた事もあったけど、一瞬で吹き飛んだ。「やっぱりか…」みたいに思った事を覚えている。
帝王切開なんて、クッキングパパで読んだくらいしか知識が無かったので、けっこう色々と調べた。そして調べるたびに帝王切開のリスクについても知識が付いたりして、不安になっていた。

■娘さんが産まれた日、とにかく頭の形が気になっていた

結果として、無事に元気な女の子が産まれてくれた。手術室越しに産声が聴こえて来た時に「ああ、産まれて来てくれてありがとう」と思った。
産まれた直後に看護師さんが待合所近くの保育室に連れてきてくれて、窓越しに見える保育器の中に娘さんを入れてくれた。
初めて見た時の感想は「頭の形が変」というものだった。それまで「産まれて来てくれてありがとう」と思っていた僕だったが、顔を見た瞬間に「この子がこの頭の形のまま大きくなってしまったら、非常に困るのではないか?」とかそんな変な事を考えてしまっていた。
今になってしまえば、出産直後の赤ちゃんの頭の形なんてそんなに気にならないけど、当時は本当に焦っていた事を覚えている。横で僕の親や妻の親が「可愛いね」と言っているのを聞きながら、僕はビデオを回しつつ上記のような事をずっと考え続けていた。


今日はここまで。