【子育て】たまには外遊びの無い日も良いもんだ

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■今日のまとめ

  • 今日は、子供と遊ぶための外出をしなかった
  • 娘さんは不満そうだったけど…
  • たまにはこんな日も良いかもしれない

■今日は、子供と遊ぶための外出をしなかった

「晴れた日は娘さんを連れて外に遊びに出かける」
いつの日からか、仕事が休みの日は娘さんと必ず出かけるようになっていた。
行く先はだいたい近場の公園や、室内遊具のある施設。
移動手段は距離やその日の気分によって「徒歩」「自動車」「電車」を使い分けている。

だいたい僕が一人で娘さんを連れて、いわゆる「週末デート」の形で出かける。
目的はもちろん「平日満足に遊べない娘さんと一緒の時間を過ごす」部分にあるけど、
「平日娘さんに付きっきりになっている妻を、短時間だけど娘さんから開放する」という部分も大いにある。

そんな週末の日課である「娘さんとの外出」だけど、今日はそれを実施しなかった。
きっかけは、昨日かなり寝不足だった僕を見かねた妻が「明日は家にいたら良いんじゃない?」と言った事。
それを聴いた直後は「いや、別に散歩くらいだったら行けるし…」と思ったものの、とは言え妻も僕を気遣って言ってくれた事だったりするので、「そんな日もあっても良いのかもなー」と考え、それを受け入れる事にした。
それ程までに、「娘さんと外出しない晴れた日の週末」は、僕にとって非日常感あふれるものだったのだ。*1

■娘さんは不満そうだったけど…

そして今日になったのだけど、実際に、娘さんと遊びに出掛けなかった。
正確には「遊びを目的とした外出をしなかった」が正しいのだけども。
と言うのも、今日は資源ゴミを出しに行く(近所の資源ゴミセンターで、収集日以外も資源ゴミを回収してくれるのだ)という短時間ながら外出の予定があったため。
ゴミ出しは僕一人でも行けたのだけど、どうせ外出するなら…と、家に居たそうな(遊び以外の目的だとあまり出たがらない)娘さんを連れ出し、ゴミを捨てに行った。
ゴミ出しの帰りにスーパーに寄って、昼食の材料を買って帰る事に。娘さんは途中何度も「お父さん、ここ、○○公園の近くだよ!」とか「スーパーの中の遊具で遊びたい!」とか言っていたけど、昼食の時間も時間だし、さっさと買って帰宅。娘さんは不満そうだった。

昼食を適当に作ってみんなで食べて、普段であれば「さぁ○○に行こうか」と娘さんを連れ出す所だったけど、今日は宣言通り行かない事にした。
やった事と言えば、こんな感じ

  • 皿洗い(僕が洗って、娘さんがすすぐ)
  • 庭でシャボン玉
  • 部屋でオモチャ遊び
  • 一緒に替え歌大会
  • 先日から散らかっていた部屋のオモチャの片付け
  • 妻と娘が庭の掃除をしている間に、息子さんと遊ぶ
  • お絵かき大会(1枚の紙に一つの世界観で人や動物をお互いに書き加えていき、その絵の中でどんどんストーリーを進めていく)

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そして、夕飯の買い物は妻ひとりに行ってもらった(普段であれば全員で買い出しに行く)。
家の中に娘さんと息子さんと3人で居る、というのも何だか不思議な感覚だなぁと思いつつも、娘さんと一緒に息子さんをあやしたりしながら遊んでいた。

■たまにはこんな日も良いかもしれない

終わってしまえば、そこそこ遊んだ感はあるものの、やはり外出をしなかった事もあってか体力の消耗も抑えられていたようだった。
娘さんは「やっぱり公園に行きたかったなー」とは言っていたものの、夕方頃に「今日はお父さんと家の中でいっぱい遊べて良かった」と言ってくれたので、そこそこ満足感は得られたようである。

普段は週末ともなると「頑張って子供を連れて外出しないと!」と、ある意味使命感のようなものを持って出掛けていたのだが、別に外出せずともそこそこ満足の行く週末感を得られたので、今後もたまには外出しない日を作っても良いのかなー、と思ってみた。
とは言え、よほど体調が悪かったりしない限りはどんどん外に連れ出したいのだけども。

■まとめ

なんか、色々と書いていたら長文になってしまったけど、単に「外に遊びに行かなかった」という事を伝えたいだけの日記でした。

*1:雨の日は外出しないのだけど、その日は申し訳無さで一杯になっている

【子育て】子供の前で歌を唄おう

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■今日のまとめ

  • 僕は歌を唄うお父さん
  • 何より、子供が喜んでくれる
  • 恥ずかしさと、人生の豊かさのどちらを取るか?
  • きっと子供の未来の記憶に残るはず

■僕は歌を唄うお父さん

以前から子育てをしている中で、他のお父さんに聴いてみたかった事がある。
それは
「どのくらい日常的に歌を唄うのか?」
という質問。

かく言う僕は、「ほぼ毎日」である。
思い付くだけでも

  • 娘さんと一緒にいる場面
    • 朝目が覚めて、まだ寝ている娘さんを起こすとき
    • 娘さんを起こしてから、抱っこして1階の食卓まで連れて行く
    • 娘さんの朝食を準備するとき
    • 娘さんのトイレを近くで見守るとき
    • 娘さんがごはんを残しがちになっているとき
    • 娘さんと一緒に洗濯物を干しているとき
    • 幼稚園に行く娘さんをバス停まで見送りに行くとき
    • 娘さんと散歩に出ている時
  • 息子さんと一緒にいる場面
    • 息子さんのオムツを替えるとき
    • 息子さんの沐浴をしているとき
    • 息子さんを抱っこで寝かしつけるとき
    • 息子さんの手や足を握りながら遊ぶとき

このような場面において、口から歌が出てくる。
歌と言っても、いわゆるJ-POPや特撮ソングではなく、
【童謡や単調なメロディーに乗せて、今感じている事・見ている事を口に出して唄う】
ようなものである。替え歌みたいな感じ。

例えば抜粋すると(仮に娘さんの名前を「○○」、息子さんの名前を「□□」とする)

  • 「あっさでっすよ~♪ おっきましょう~♪ ○○ちゃ~ん♪」
  • 「お父さんは○○ちゃんが大好きよ~♪ ○○ちゃんはお父さんが大好きよ~♪」
  • 「今からウィンナ~を やきますよ~♪ チーズを出しますよ~♪」
  • 「ウンチをがんば~れ~♪ ウンチをがんば~れ~♪」
  • 「○○ちゃんのお皿には【トマト・ウィンナー・パン】が残ってるのよ~♪」
  • 「次は~ ○○ちゃんのパンツを 干しますよ~♪」
  • 「オムツを替えたら気持ちいい~♪ オムツを替えたら気持ちいい~♪」
  • 「□□くんはお風呂が大好きで~♪ お父さんも□□くんが大好きで~♪」
  • 「□□くんは~ 抱っこが気持よくて~ 眠ってしまうのよ~♪」
  • 「□□くんは元気っ♪ □□くんは元気っ♪ □□くんはホッペがムッチムチッ♪」

こんな歌詞である。

子供と「意識した会話」をする時以外は、だいたいこんな感じの歌を唄いながらコミュニケーションを取っている。
今回は子育てにおける「歌のコミュニケーション」について感じている事を書いてみようと思う。

■何より、子供が喜んでくれる

歌はいいね。というセリフを誰かが言っていた気がするけど、実際、歌は良いものだと思う。
メロディに乗せる事によって、ただのコトバに、豊かな感情表現やエンターテインメント性を加えてくれる。
特に娘さんは、僕が一節唄い終わると、同じリズムに乗せて歌詞を変えて唄ってくれたりする。

  • 僕「つっぎの~ おうちは どんないろ~♪」
  • 娘さん「つっぎの~ おうちは ちゃいろだよ~♪」

みたいな感じ。

子供は感受性が豊かなので、ただ普通に会話する時以上に、多くのものを受け止めてくれるのだと思う。
実際、娘さんに対して単に「次は帽子をかぶって」と言った場合と「つっぎは~ 帽子を かぶってね~♪」と唄った場合とで、その後の本人の行動・反応や表情にに違いが出てくる(ように見える)。

以前、娘さんにインタビューしてみた事もある。
僕「お父さんが普通に話すのと、唄いながら話すのとだったらどっちの方が好き?」
娘さん「唄ってる方がぜったい楽しくていいわよ~(ニコニコしながら)」
と言っていたので、おそらく普通に話すよりも唄っている方が楽しいのだろうと思う。

メロディに乗せて言葉を発すると、何とも言えず胸踊る感覚がある。
お父さん自身も、おそらく普通にしゃべるよりもメロディに乗せて言葉を発した方が楽しいのだ。

■恥ずかしさと、人生の豊かさのどちらを取るか?

もちろん、妻が聴いている前で変な歌を唄ったりするのは正直言って恥ずかしい。
妻と娘さんが見ている前でお尻を振りながら踊ったりもするけど、これも正直恥ずかしい。
実際、高校・大学時代の友人がこんな僕の姿を見たらビックリするだろう。

ただ、ちょっと恥ずかしさを捨てて行動するだけで、娘さんが喜んでくれるし、それを見た妻も笑ってくれる。
そんな家族を見ていると、僕もすごく心が暖かくなり、人生の豊かさを感じられるようになる。

子育てなんて上手く行かない事ばかりで日々どんどんストレスがたまるものだから、ちょっとでも笑いや癒やしに繋げられるような要素があるならば、積極的にそれを取り入れていった方が良い。でないと心が参ってしまう。

だから僕は、変なプライドや恥ずかしさなんて持つのをやめて、家族が楽しめるように、ずっと笑い続けられるように、変な事をやって行く。
これからもずっと、娘さんや息子さんにとって「親しみやすい、楽しいお父さん」であり続けたいと思うから。

■きっと子供の未来の記憶に残るはず

僕が持っている非常に古い記憶の中で、母がキッチンで料理をする時にいつも唄っていた歌の記憶がある。
その時の母の姿なんて覚えていないし、料理の内容なんて覚えていないけれど、でも、その独特なメロディはずっと頭の中に残っている。
母親が、ただ普通に会話しているだけだったら、まったく記憶に残らなかっただろう。それ程までに歌は心に刻まれるものなのだ。

僕は、娘さんや息子さんに「親と一緒に過ごした色々な記憶」を出来るだけ多く残してもらいたいと思う。
歌を唄い続ける事で、もしかしたらそんな記憶を増やしてもらえるかもしれない。
そうなって欲しいと願いながら、僕は毎日娘さんと歌を唄い合いながら通園路を歩くのだ。

「30年後、もしかしたら80年後の娘さんの記憶を、僕は今作っているのかもしれない」と思いながら。

今回はここまで。


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「家族に将来何が残せるかな」とか考えると、だいたい「象の背中」を思い出してしまうので、とりあえず動画をまた観て泣いておこう。


象の背中 旅立つ日 完全版 - YouTube

【子育て】父親による沐浴のススメ

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■今日のまとめ

  • 赤ちゃんの沐浴は父親がやった方が良い
    • 体格的な違いによる優位性
    • 「子育て」に父親の居場所を作る事ができる
    • 子供の成長を定点観測できる
  • 朝方沐浴のススメ

今回は、「お父さんが赤ちゃんの沐浴を率先してやる」事についてのメリットを語りたいと思う。
僕は今まさに二人目の育児に参加している真っ最中なのだけど、新生児期・乳児期の子育てにおいて特に「沐浴」についてはお父さんにこそやってもらうべきなのではないか、と思っている。
その理由と得られる効果について、いくつか項目を上げて整理してみたい。また最後に、無理なく沐浴を続けられる習慣について説明してみる。

■理由その1:体格的な違いによる優位性

赤ちゃんの沐浴をする場合、おそらく以下のような状況になる事がほとんどだと思う。

  1. 赤ちゃんの頭を一方の手のひらで支える
  2. もう一方の手でガーゼ等を利用し、身体を洗う
  3. 洗い終わったら、バスタオルへと移動

例えば我が家の例を出すと、妻よりも僕の方が体格が良く、手も大きいし力も強い。
特にこの「手のひらの大きさ」と「力の強さ」が、沐浴時には心強いものとなる。
首がすわっていない赤ちゃんの頭を片手で支えるのは、けっこう大変。生後1ヶ月目くらいまでなら、お母さんでも容易に両耳を覆うくらいまで指を回せると思うけど、それが2ヶ月目、3ヶ月目と順調に育っていくと、あっという間に指を頭の両端に回せなくなってくる。
そこで手のひらのおおきいお父さんであれば、より安定して支える事が出来るので、不意に子供が大きく動いたとしても手を滑らせてしまう心配は少なくなる。

また、身体を洗い終わった時に赤ちゃんをバスタオルまで運ぶのだが、お湯に濡れたままの身体を手だけで支えて運ぶのは、そこそこ力がいる作業なのだ。
だいたい沐浴をするときは親は服を着ていると思うので、身体を密着させて抱く事が出来ない。そのため、片手で頭を支え、もう一方の手で尻を支えて運ぶ事になる。腕に乗せて支える事も出来れば避けたい状況だ。
想像してみたい。スーパーで売っている5kgのお米を、手のひらの上に乗せて運んでいる状況を。例えば自分の妻がスーパーでそんな状態になっていたとしたら、おそらく九割九分の旦那さんは奥さんに代わって米を持ってあげたくなる衝動に駆られる事だろう。
つまり、そういう事だと思う。

■理由その2:子育てにおいて「父親の居場所」を作る事ができる

せっかくだから父親としても子育てを楽しみたいのだけど、例えばオムツ替えだったり寝かしつけだったりは、どちらかと言うと「父親がやっても母親がやってもそんなに変わらない」類のものであり、お父さんとしてはあまり自信を持って「オレの役割だ」と言えるものでも無い。けっこうションボリする。
しかしながら前述の通り、沐浴に関して言うと「お父さんがやった方が安心・安定」なので、父親が活躍出来る。その役割がある事で「子育てにおける父親の居場所」を作る事が出来るのだ。胸を張って「オレに任せなさい」と言える事で、どんどん自信がついてくるようになる。
結果として、より「夫婦でする子育て」に近づく事が可能となる。

■理由その3:子供の成長を定点観測する事が出来る

子供は、あっという間に大きくなる。気付いてみたら、どこがどうなったのかは分からないけど、とにかく肉付きが良くなっていたり、全体的に大きくなっている。
実は、沐浴はそんな子供の肉体的な成長を、同じ場所、同じ視点で日々細かく感じる事の出来る行為なのだ。
具体的には、以下のような変化を感じる事が出来るだろう。

  • 頭を支える時に、指が耳に届かなくなって来た。その内に、指で支える事が出来なくなってきた。
  • 日に日にベビーバスが小さくなっていく、いや、むしろ赤ちゃんが大きくなっているのだ。
  • 首や関節に溜まったホコリが、日に日に肉に隠れて取りづらくなっていく。
  • 最初はプカプカ浮いていただけなのに、日に日にベビーバスの中に沈んでいくようになる。重い。

定点観測だからこそ、変化に対して非常に敏感になれる。本来であれば見過ごしているような変化も、意識させてくれる。
そして、これらの変化を感じる事が出来るのは、沐浴をやっている人の特権なのだ。
お母さんは、四六時中赤ちゃんと接する状況にあるため、日々の子育ての中で赤ちゃんの変化に色々と気付く状況がある。
しかしながらお父さんは、気を抜いていると週末の休みの日にしか赤ちゃんとまとまって過ごす時間が取れない事も多い。
沐浴は、そんなお父さんに子育ての醍醐味である「日々の成長」を感じさせてくれる手段である。

■最後に:朝型沐浴のススメ

とは言いつつも、「父親が毎日沐浴をする」というのは、けっこう色々と工夫をしないと難しい状況がある。
例えば「風呂ってだいたい夜に入るものだよね」という思考を持っていると、何となく沐浴も夜が当たり前になってしまったりする。
しかしながら、仕事人のお父さん、特にIT系の企業に勤めていたりすると、帰れる時間は日によってバラバラ。遅い時には、家に着く時間が日をまたいでしまう事もあったりして、そんな日は、だいたいお母さんが沐浴をやってしまい、先に寝てしまっている。お父さんは申し訳無さそうに帰宅する事になる。
他にも、例えば家に帰って「さぁ沐浴だ」と思っても、玄関上がるとちょうど授乳タイミングで、その後しばらく吐かないように時間を開けていたら、いつしか寝る時間になってしまって、沐浴が出来ない、という状況になったりもする。
こんな状況が続くと、きっとお母さんはイライラしてしまうだろう。

そんな状況から抜け出すために我が家で実践しているのが、「朝型沐浴」である。単に、朝に沐浴をする、というだけなのだが、これが非常に良い上記の解決策になっている。
ポイントとしては、以下のようなものである。

  • 出勤時間の2,3時間前~出勤時間直前までの時間帯の中で沐浴を実施する
  • 沐浴をおこなうタイミングは、赤ちゃんが目を覚まして泣き出した(お腹が空いた)時に合わせる
  • 目を覚まさないようであれば、頃合いを見て起こして沐浴
  • 沐浴が終わったら授乳タイム

このような仕組みを作る事で、「毎日ある程度規則的に沐浴できる」「お父さんが沐浴させられる」「二人が起きている状態で授乳させられる」というメリットを漏れ無く享受する事が出来るのだ。

もし「毎日の仕事帰りが不定期になってしまって、良い感じに沐浴させる事が出来ない」という状況があるならば、是非とも試してもらいたい習慣の一つである。もしくは、毎日キッカリ定時に帰って沐浴させるか、だ。

少なくとも、僕の家ではこの朝型沐浴のおかげで「無理なく」「毎日」「楽しく」「夫婦で」息子さんとの沐浴タイムを楽しむ事が出来ている。


今日言いたかったのは、「お父さんが沐浴をやった方が良い」という事。
これは、僕の息子さんにも将来伝えようと思う。

【子育て】父親であると実感を持つまでに時間が掛かった話

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■今日のまとめ

  • 娘さんが産まれた直後は、父親の自覚はほとんど持てなかった
  • 産まれる前に持っていた「娘さんへの愛情」は、「妻への愛情」だったのだと思う
  • 「父親の自覚」は、娘さんと一緒の日々を過ごす中で芽生えていった
  • 二人目が産まれた時は、父親の自覚をすぐに持つ事が出来た

■娘さんが産まれた直後は、父親の自覚を持てていなかった

娘さんが産まれた日、僕は娘さんの頭の形が気になって仕方が無かった、という話を前回書いた。
手術室から戻った妻に声を掛け、「赤ちゃん、可愛かったよ」と言ってはいたものの、「あの子の父親になったんだ」という自覚はまだ持っていなかった気がしている。
今でこそ、娘さんの事は「どれだけ一緒に居ても飽きる事が無く、ずっと接し続けていたいし、自分に出来る事なら何でもしてあげたい」と感じる存在になっているのだけど、産まれた直後に保育器の中で小さく動いている存在を見た時は、何と言うか、あまり自分との直接的な関係を意識出来る対象では無かった。
なので、頭の形とか変な所に意識が向いてしまっていたのだと思う。

■お腹の中にいた頃は愛情のような感情を持っていたような気がする

産まれる前は妻のお腹の中に居たわけだが、その頃はもっと愛情を持って接していたような気がする。
おそらくその理由は分かっている。お腹の中に居るとは言え、相手は妻と一体になっていたのだ。例えばお腹に声を掛けたりお腹をなでたりと、お腹の中の子に意識を向けているような時でも、直接的に接する対象が妻そのものであったため、それは妻に対しての愛情表現がそのまま現れているだけだったのだろう。
そのため、妻の身体から出てきて「一人の独立した存在」になった娘さんに対して、それまで妻に対して持っていた愛情をそのまま映す事が出来なかったのだろうなぁ、と思う。

実際、その後病院に通って娘さんを抱かせてもらう機会があっても「うわぁぁぁぁ!この子は自分の子供なんだぁぁぁぁぁぁ!!一生大事にしていくぞぉぉぉぉ!!」みたいな感覚を得ていたわけではなく、とりあえず「赤ちゃんかわいいなぁ」という、赤ん坊そのものに対しての「かわいい」感情がある感じで、むしろ「【子供が産まれて幸せそうな妻】を見る幸せ」みたいな部分に幸せを感じていた気がする。

■「父親の自覚」は、娘さんと一緒の日々を過ごす中で芽生えていった

娘さんが妻と一緒に退院してからは、「状態としての父親」という立場は出来ていた(そうならざるを得なかった)ものの、やはり「父親の自覚」というものはまだまだ育っておらず、「父親としてすべき行動は何か」みたいなものは、けっこう妻に教えられていたような感じだった。

それからどれくらい経ってからなのかは分からないけど、いつの間にか上記のように「一生大事にしたい存在」として娘さんを見るようになっていて、いわゆる「父親としての自覚」もかなり育っていた。
そうなった一番大きな要因としては、やはり「一緒の時間を過ごす」という部分にあったのだと思う。一緒に生活していく中で、「自分の接し方ひとつで、この子の人生が変化していくのだ」という事をジワジワと実感するようになり、いつしかそれが「父親であるという事の自覚」になっていった。

これは、恋愛関係における愛情の変化にも似ている感じがする。
出会った当初、付き合った当初は相手の事が分からず、どちらかと言うと「異性と一緒にいる事の刺激」が主であるが、しばらく一緒の時間を過ごす事で、それまで持っていなかった「この相手と自分との将来を意識する感情」が芽生えるようになり、それがいつしか「相手を一生大事にしたい存在と思える状況」になっていくのだろうと思う。あくまでも自分の体験だけど。

■二人目が産まれた時は、産まれた瞬間からその子の父親になっていた

4年が経ち、息子さんが産まれた時に得た感覚は、娘さんの時のそれとは打って変わっていた。
病院で産まれた直後の息子さんの顔を見た瞬間から「その子に対しての父親であるという感情」を持っていた。
それはやはり、娘さんと一緒に過ごす中で娘さんに気付かせてもらった「その子の将来を作っていくのが自分である」という感覚、つまりは「父親の自覚」を十分持てていた事によるものだろうと思っている。
それを考えると、「子が親を育てる」というコトバにも非常に納得が行く。

僕の「父親の自覚」を育ててくれたのは、娘さんであり、そして、これからは二人の子供がもっと僕を育てていってくれるのだろう。
非常に楽しみである。

【子育て】父親になるまでの話

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■今日のまとめ

  • とりあえず昔の事を思い出してみようと思った
  • しばらく子供ができなかった話
  • 娘さんが産まれた日、とにかく頭の形が気になっていた

■昔の事を思い出してみようと思った

子育てについて日記を書くと決めたものの、初日から「さて何から書いたものか」という状況になってしまったので、ひとまず「子育て」の始まりの事を思い出してみようと思った。もう5年以上も前の事なので、断片的な記憶を寄せ集めてみる。

■しばらく子供ができなかった話

当時、結婚して「いつ子供が産まれても良い状態」になったものの、1年以上そういった巡り合わせは無く、けっこう悩んでいた事を覚えている。
僕自身がそこそこ重度の持病持ち(薬漬け)であった事もあり、「自分の身体に原因があるのではないか?」と真剣に悩んだりして、知り合いに相談した事もあった。妻は子供が好きだったので「もし彼女に自分の子供を抱かせてあげる事が出来なかったら…」とか考えて落ち込んだりもした。
だけど、たぶん僕よりも妻の方が悩んでいたんだろうなぁ。あまり表には出さないものの、かなりの心配性なので、僕が悩んでいた以上に色々な事を気にしていたのだと思う。
基礎体温を測るようになってから、毎日目が覚めた時に妻の口に体温計を運んでいった事を良く覚えている。一緒に妊活をしているような気になれて嬉しかった。

その後、幸いにも妻の妊娠がわかり、非常に喜んだ。
ただ、人生そんなに甘くは無い。詳しくは書かないけど、妊娠が分かってからも色々と大変だった。何度も「もうダメかもしれない」と思う事があった。何よりも、大変な状況である事を周囲に説明できないのがツラかった。
だけど、たぶん僕よりも妻の方がツラかったのだと思う。自分自身の身体の変化が直接分かってしまうわけだし、どうする事も出来ない状況でただ時間が過ぎる事を待つしかない、だなんて相当に酷な状況だ。僕はだいたい、妻の感情を黙って受け止める事しか出来なかった。

そして色々あって、帝王切開で出産する事が決定。それまで「立ち会い出産時の立ち居振る舞い」みたいなものをモヤモヤとイメージしていた事もあったけど、一瞬で吹き飛んだ。「やっぱりか…」みたいに思った事を覚えている。
帝王切開なんて、クッキングパパで読んだくらいしか知識が無かったので、けっこう色々と調べた。そして調べるたびに帝王切開のリスクについても知識が付いたりして、不安になっていた。

■娘さんが産まれた日、とにかく頭の形が気になっていた

結果として、無事に元気な女の子が産まれてくれた。手術室越しに産声が聴こえて来た時に「ああ、産まれて来てくれてありがとう」と思った。
産まれた直後に看護師さんが待合所近くの保育室に連れてきてくれて、窓越しに見える保育器の中に娘さんを入れてくれた。
初めて見た時の感想は「頭の形が変」というものだった。それまで「産まれて来てくれてありがとう」と思っていた僕だったが、顔を見た瞬間に「この子がこの頭の形のまま大きくなってしまったら、非常に困るのではないか?」とかそんな変な事を考えてしまっていた。
今になってしまえば、出産直後の赤ちゃんの頭の形なんてそんなに気にならないけど、当時は本当に焦っていた事を覚えている。横で僕の親や妻の親が「可愛いね」と言っているのを聞きながら、僕はビデオを回しつつ上記のような事をずっと考え続けていた。


今日はここまで。

子育て日記を始めます

押忍、きんちゃんです。

ふと思い立ち、ここ最近の子育て生活について色々と書き貯めていく事にしました。
初日となる今日は、現在僕が置かれている環境、今後書いていきたい事についてまとめます。

■家族構成(4人家族)

名前 どんな人?
【僕】 34歳の会社員。名古屋のIT系企業に勤務。
【妻】 専業主婦。かわいい。気が利く。ピアノが得意。
【娘さん】 4歳の幼稚園児。かわいい。家庭内イチの演技派。
【息子さん】 満2ヶ月の乳児。かわいい。最近表情が出てきた。

■居住地

 愛知県在住。
 名古屋のベッドタウンにて賃貸暮らし。

■これまでのライフイベント

頃合い 出来事
2005年頃 大学卒業後、上京して関東のIT系企業に勤務
2007年頃 しばしの同棲期間を経て結婚
2009年頃 長女を授かり、初めての子育てを経験
2011年頃 震災をきっかけに地元の愛知県へとUターン
2014年 二人目の子供を授かり、現在に至る

■これから書き残していきたい事

  • 二人目の子育てについて
  • 父親としての、子供との関わり方
  • 楽しい育児ライフを過ごすために工夫している事
  • ITの活用だったり、反対にアナログの活用だったり
  • 「妻の子育てを手伝う」ではなく「夫婦で子育てをする」という事について

まずは一週間書く事を目標にしたいと思います。

ちなみに、この記事は最近購入したタブレットを利用して書いています。

Lenovo Yoga Tablet 8(MT8125/1GB/16GB/8.0 IPS) 59387741

Lenovo Yoga Tablet 8(MT8125/1GB/16GB/8.0 IPS) 59387741

元々は電子書籍の閲覧用途で購入したのですが、テキストを書くのにもなかなか使い勝手が良くてオススメです。
子供を寝かしつけながら、布団の上で本を読んだり日記を書いたり、便利な世の中になりました。

「しろくまちゃんのほっとけーき」のススメ

このエントリは、「子育て 読み聞かせ Advent Calendar 2013」 16日目のものです。

我が家について

我が家には4歳になる娘(以後、「娘さん」)がいます。

気付いてみればもう4歳。まだまだ娘さんに「読み聞かせ」をする機会は多いのですが、最近は自分で借りてきた本を自分で黙々と読んでいる事も多く、そんな姿を見ると、時の流れを感じる今日このごろです。 

今回は、その娘さんへの読み聞かせで特に印象に残っている一冊を紹介します。

まずは結論から

  • 「しろくまちゃんのほっとけーき」は0歳から楽しめる絵本
  • 簡単に暗唱できるようになるので、朗読のきっかけ作りにピッタリ
  • 実際にホットケーキを作って食べる時の楽しさが倍増!

以上のポイントを、順を追って紹介していきます。

 

長年愛される「こぐまちゃんえほんシリーズ」の鉄板作 

僕が紹介するのは、こぐま社から出版されている「しろくまちゃんのほっとけーき」です。

この絵柄、どこか見た覚えのある方も多いのではないでしょうか?

数ある「こぐまちゃんえほんシリーズ」の内の一冊なのですが、シリーズ自体は1970年から発売されており、40年以上も愛され続けている超老舗作品です。

今回採り上げている「しろくまちゃんのほっとけーき」も1972年の発売との事で、非常に歴史があります。実は、僕自身も小さい頃にお世話になった本の一つだったりします。

 

0歳からOK。読みやすく子供も喜ぶ本

この本は、内容が非常にシンプルでありながら、

「おかあさんと一緒にホットケーキを作り、友達と一緒に食べて最後に後片付けをする」

という一連のストーリーが20ページに凝縮されています。

文字も少なく2分とかからず読めてしまいますし、それでありながら子供の満足度も高い一品。そして後述しますが、子供が成長した後もまた違った楽しみ方の出来る本です。

 

娘さんが0歳の時にこの本を入手した(出産祝いで妻の友人からプレゼントしてもらった)のですが、このシリーズは画像を見て分かるように原色が多用されているカラフルな絵本なので、0歳の子供でも見やすい構成になっています。

 

特にお話の中間地点にあたる見開きページが特徴的で、見開き両面いっぱいを使って

「オレンジ色の背景の上で、ホットケーキが焼ける工程を順に追う」

シーンが描かれています。

このシーンを見る度に想い出すのが、当時0歳の娘さん(まだ寝返りも打たない頃)に読み聞かせていた頃の記憶。

普通にお話を読み進めていくぶんには各ページ内のイラストをジッと見つめる程度の娘さんなのですが、このオレンジ色の見開きページに差し掛かると、「カッと目を見開いてページ全体をキョロキョロと見回しながら鼻息を荒らげて興奮する」行動を取っていました。それ程までに、「目で見て楽しませる事が出来る」ページであった事を覚えています。

 

覚えやすく、朗読のきっかけ作りにピッタリ

「読みやすい」という事は、同時に「覚えやすい」という事。

娘さんが一番最初に朗読をしたのはこの本ではなかろうか、という逸話もあります。

まだ「ひらがな」すらも読めない頃の娘さんが、ある時一人でこの本のページをめくりながら、それぞれのページに書かれている文章を声に出して読み始め、最後まで読み切ってしまいました。その事に非常に驚いた事を記憶しています。

僕自身もいまだに全文を暗唱できる程度の文章量である事、また、ストーリーがしっかりしている事も相まって、「自分で読んでみたい!」という気にさせたのかもしれません。

 

「おはなしを読む」だけでなく「作って食べる」体験も味わえる

この本の中心となるストーリーが「お母さんと一緒にホットケーキを作って、友達と一緒に食べる」なので、実際にしろくまちゃんの行動を子供に追体験してもらう事が可能です。

  • 材料を準備する
  • 卵と粉と牛乳を混ぜ合わせる
  • 焼く
  • 一緒に食べる
  • 後片付け+皿洗いをする

といった一連の流れを絵本と照らし合わせながら進める事によって、単なる読み聞かせ以上の体験を子どもと一緒に味わう(文字通り)事が出来ます。

 

年齢に合わせて出来る作業も変わっていき、最初は「作るのを見るだけ、食べるだけ」だったのが、しばらくすると「粉を混ぜる」「焼く」「後片付けをする」といった部分も子供に体験してもらえるようになります。

しろくまちゃんが絵本の中でやっている事と同じ事を「自分でできるようになっていく」のは、子供自身にも非常に嬉しい変化だと感じてもらえるのではないでしょうか。

 

まとめ

  • 「しろくまちゃんのほっとけーき」は0歳から楽しめる絵本
  • 簡単に暗唱できるようになるので、朗読のきっかけ作りにピッタリ
  • 実際にホットケーキを作って食べる時の楽しさが倍増!

以上3点です。

読んでくださった皆さま、どうもありがとうございました。

 

余談

今日(12/16)は、僕たち夫婦の挙式・披露宴記念日になります。

年に一度の記念日、何か家族のために特別な事をしておきたかったので、家族にまつわる記事をこのアドベントカレンダーを通じて残す事にしました。

 

今日は、夜になったら家族3人で当時の挙式披露宴のビデオを見ようと思います。

結婚してからかれこれ6年、毎年恒例のビデオ鑑賞ですが、こっ恥ずかしいながらも、とても新鮮な気持ちになれる瞬間がやって来るので、非常にオススメです。

 

このオススメ習慣によって得られた体験をひとつ。

つい先日に娘さんが、僕たちの結婚式の絵を、当時の服装ほぼそのままに描いてくれたんです(まだ自分が産まれてすらいない頃の話なのに)。昨年の同日にビデオの中で見た【記憶の中にある両親の映像】だけを頼りに描いてくれたのです。驚くと共に、心の底から感動しました。

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子供が大きくなっても、毎年同じ映像を見ながら「家族の素晴らしさ」を皆で実感する、そんな家庭にしていきたいと願う記念日でした。

 

皆さまに素敵なクリスマスが訪れますように。